どういった経緯で監督になることが決まったんですか?

突然言われたんですよね。当時全6本のオムニバスを作る企画があって、その内の1本をやらないかという提案を何年か前にいただいたんです。

ということはかなり前から決まっていたんですね。

そうですね。それこそ3年くらい前の話です。でその当時は全話数バラバラ、話数でもシナリオ・キャラクターなどもこれまでの攻殻とまったく違っていてもいいと言われたので、それなら敷居も下がるので「やれるかもしれない」と思い、それが提案をお受けしたきっかけですね(笑)

やっぱり攻殻機動隊というテーマは敷居が高いと?(笑)

はい、高いですね~(笑)これまでに監督をされた方、押井さんも神山さんも、元々の原作の上に自分自身のやりたいこと、伝えたいメッセージを演出にはっきりと加わえてあの形になってると思うんですよ。そこがはっきりしていない人間としては、「ただ描く」だけになってしまうのがすごく怖かったんです。一体そこに何を乗っけたらいいのか分からなくて、非常に頭を悩ませました。これは今でもあります(笑)。

もうすでに公開しましたけど、大丈夫かな..といった感じですか?

そうですね。過去の劇場2作品と比較しても、あまりにも方向性が違うので、コアなファンの方であればあるほど、「こんなの違う!!!」と言われるのではないか…と、いちファンである自分も思う所はあります。

攻殻機動隊は最初の押井版攻殻をリアルタイムでご覧になられましたか?

初代の攻殻機動隊は公開されてから2年ほど経ってから見ましたが、「イノセンス」はリアルタイムで見ました。

では攻殻機動隊というタイトルに関わったのは、今回が初めてということですね?

はい、今回が初めてです。

かなりのプレッシャーだったと思いますが、どこが特に辛かったですか?

(長考)...まずはじめに何を描いたら良いのか分からなかったんですね。一応そのときにはすでにARISE#1〜4のシナリオは出来上がった状態でした。501機関など登場する組織などの関係に決着をつける、士郎先生原作マンガ「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」の冒頭のシーンに繋げる、原作第1話の荒巻の台詞にある、首相爆殺の事件にも繋げなければならないので当の総理大臣を登場させるなど、やらなければならない課題はたくさんありましたが、肝心のストーリー部分は原作にはなかったんですよ。じゃあ、これらの前提を絡めてどういうストーリーを作っていけばいいのか…それもただ話を作るだけでは、攻殻機動隊にはなりません。では、そこに「どんな要素」を入れていくのか、それを考えながら作ることに、とても苦労しましたね。

そこは冲方さんと、どういうやり取りをして固めたんですか?

まずはクルツというキャラクターにどういう落としどころを探すか、というところで悩みましたね。501機関という組織がこの作品の中で解体していく過程を、まるで氷河期の恐竜のように、完全に死滅する形で終わらせなければならなかったんです。彼らは義体が一般に広まっていく過渡期の中で生まれてきた人達なので、非常に特殊なヴァージョンの義体を使っているのではないかと。真っ先に義体化する対象が誰になるんだろうと考えたときに、先天的障害のある人達が多分最初に義体化をするんじゃないかという前提で色々と考えたんです。

501機関のメンバーは、そのような経緯で義体化して軍に所属して生きていく人たちなんですが、その中のトップのクルツは、逆に先天性の病気で「義体化出来なかった女性」という設定はどうだろう…というのが話し合いの中で出てきたことなんですよね。義体化できずに、ベッドからほとんど動けず起き上がることも出来ない人なので、代わりにサイボーグ達を遠隔操作をすることで、軍の一員として汚れ仕事を担って暗躍していた人なのかなぁ…という設定を新たに作り上げました。

冒頭で出てくる養護施設が、素子とクルツの初めての出会いなんですが、あの段階から既にクリスという少女はあの施設にいて、彼女が遠隔操作で動かした初の義体がクルツなんですね。義体の遠隔操作に慣れていないので、車椅子から立ち上がろうとしてもうまく行かない。しかし素子からすると、自分と同じく義体化したゴーストを持った少女が、起き上がれないクリスに手を差し伸べてあげた、という認識ですよね。それがストーリーの始まりになっているのが面白いのではないかなぁ…と、そこから膨らませていきましたね。

あと僕の方で出したアイデアが、もう一人の素子を出したいというものでした。それは僕から発信したアイデアでしたね。

なぜもう一人必要だと思われたのですか?

どう押井さんの攻殻機動隊につなげるかというところで、GHOST IN THE SHELLの時代の素子達(9課)って電脳化している世界にマンネリ化している、自分の存在が信じられなくなってきている、ある意味「大人の素子」が壁にぶち当たって行き詰まりを感じているわけですよね。で、結果的に人形使いと出会う事で、新しい生命体に生まれ変わる流れがあったので、その「予兆」になるようなお話にしたいな…と思ったんですよ。

「生まれ変わる予兆」として何がいいかな、と思った時に、都市伝説の「ドッペルゲンガー」を思い浮かべました。あの伝説のように、もう一人の自分を対峙させることが、後々のGHOST IN THE SHELLで素子が「生まれ変わる」予兆となったらいいな…と思って、もう1人の素子を出したいと言いました。

そういう意味で人形使いとクルツの最期、第三世界へ、というのは、何かつながりがあるような印象がありますよね?

そうですね。人形使いが生命体として生まれるための土壌(情報の海)の中にクルツやツムギの意識も溶けこんでいて、素子もそちら側にシフトする事で、改めて皆合するというか。そういう想像が、イメージとしてはあります。

原作や映画の最初につながるパスが繋がっていく中で、自分が一番描きたかった事は何だったか、作品を作っていく中で何か見えましたか?

一番は(皮肉な)対比構造にこだわったんですね。なぜそれをやったのかの理由は正直、イマイチ分かりませんけれども(笑)この作品は本当に、素子とクリスの関係性に全て集約されていると思っています。胎児の時から完全義体なのに成長できる素子に対して、生身の人間なのに成長出来ないクリス。そういう対比構造が凄く面白いなと思ったんです。他にも例えば、優秀だけど侵略しか出来ない501機関と、素子と共に成長していくことが出来る人たちである9課、というのが明暗を分ける境目になっている。他にも自分が把握していないレベルで、皮肉を効かせている対比が至る所にあるつもりなんですけど…。つい最近までやってたのに、ほとんど忘れてる(笑)

喉元過ぎればってことですかね(笑)、組織レベルでも、その対比を意図して描いていったということですか?

そうですね…。情報部の桑原・秋山・藤本補佐官とか、いわゆる「脇を固める」登場人物って、ものすごく人間臭い人ばっかり出てくるんですよ。それが、今までの攻殻機動隊と大きく違うところなんじゃないかと思うんです。普通だったら、そういう管理職についてる人ってもっとクールで、感情がないイメージですよね。でもここではむしろ、それとは逆に人間、古い時代の人間の集団で構成されるようにしているんですよね。なんでそうしようとしたのか、はっきりとは覚えていないですけど、無意識のうちにその形におさまっていったんじゃないかな...と思います。素子たちサイボーグの青春に対して、おいていかれる人間たちの代表だったのかもしれません。

拝見していた時には、オリジナルの攻殻機動隊の泥臭い絵作り・キャラクター作りにうまく繋がった印象を受けましたが?

そうであるといいんですけど。自分ではもう客観視できないので分からないですね。

野村和也監督インタビュー 後編に続きます

野村 和也 (のむら かずや)

1978年9月1日、長野生。『マインド・ゲーム』(04)、『鉄コン筋クリート』(06)などで原画を務めたのち、『電脳コイル』(07)で演出、『戦国BASAR弐』(10)で監督デビュー。STUDIO4℃を経て現在はフリーで活躍中。