作品紹介イノセンス

2003年11月1日(土)

カッティング後半戦。予定より30分ほど遅れてスタート。
昨日は色が付いているところの割合が多く、ずいぶんと調子良く進みましたが、今日は原動撮が多数残っている部分なので時間がかかりそう……と思いきや、予定より早くサクサクと終了。
作画陣のレベルの違いは、こんなところにも出るらしいです。

「これで全部色が付いていたらなぁ」って? ……へいへい、すみませんね。

イノセンス Production I.GにてCinéWave 4によるカッティング作業
(Production I.GにてCinéWave 4によるカッティング作業。編集の植松淳一氏)

2003年11月4日(火)

DFJの小川さん経由で、海外よりお客様。
慌ただしく接見したのち、社内を案内している最中にもう1組、フランスからの来客。
こちらは、近々公開されるCGI作品の監督とプロデューサーだそうな。
取材を兼ねての訪問ということで、カントクと記念撮影および対談。
さらに「イノセンス」の取材が1つ。
終わるのを待って若林氏とキャスティングの相談。
原稿のゲラチェックと連絡事項の確認の後、「攻殻S2」の脚本に目を通していたら、時間が押してしまい、次の打ち合わせに遅刻。
パブリシティー関係の打ち合わせとて、またしても仕事が増えそうなヨカン……いや、増えた。
先程の脚本に指示を出し、明日の確認をしたところで速やかに帰宅。

音響作業が本格化する前に、なるべく取材関係を消化しておきたいところではありますが、さすがにこれ以上はムリですな。

2003年11月5日(水)

打ち合わせの時間に少々遅れてIN。いつものことですが。
遅れついでにちょっと待ってもらって、アフレコ、打ち合わせ、イベントやら取材などの情報をまとめて詰め込み、すべての予定をスケジュール帳に書き込むのを指さし確認。
この確認作業を怠ると、カントクの興味の薄い予定から順番に、忘却の彼方へと旅立つことになるのである。さらに前日の確認も必須です。
30分遅れで打ち合わせに突入。中休みに差し入れのお菓子をほお張って、再突入。
終了後にCGI作業のチェックなど。

今日引き渡す予定だった原稿を電話で催促され、慌ててパソコンに向かってみたりしているうちに、本日は時間切れ。吉祥寺にて別件の収録があるので、夕方早めにOUT。

2003年11月6日(木)

恵比寿の写真美術館でイベント。演出の安濃高志氏との対談。
しばらく業界を離れていたこともあり、氏と話をするのは10年ぶりだそうな。

その後、品川へ直行。オーブにて、川井氏と音楽打ち合わせ。
いよいよ持ってスケジュールがきつくなって参りました。

打ち合わせ後、虚空を見上げてカントクの曰く、「このスケジュールを見たら、ウチの奥さん愕然とするだろうなぁ……」。

……ご愁傷様です……。

2003年11月7日(金)

本日は愛犬のためにお休み。
犬を飼うために熱海に移住し、老いた犬のためにバリアフリーの家に引っ越したカントクですもの。
なにも言いますまい。えぇ、言いませんとも。

「アイジーUSAの寺島からメールで、バセットのカレンダーを6種類見つけたそうですけ……」

「全部買っといて!」

「……ど? ……全部ですか?」

「全部だよ! ゼ~ンブ!!」

……なんなら店ごと買い占めましょうか?

2003年11月8日(土)

アフレコ初日。マウスプロモーションにて。

今回は敵役の(あの)大物俳優さんはヌキでの収録。モブシーンのガヤなども、後日追加収録することになります。

あらためて全編通して見ると、カントクならずとも、もう少し色を付けたかったなぁ、などと思ってみたり。
でもね、過去のカントクの劇場作品の中では、一番良い状態なんですよ、これでも。
カントクに言うと、「悪い方と比べてもしかたねーだろ!」とドヤされるに決まってますが……。

朝一から始めて、夜23:00過ぎに本日の分は終了。
大塚明夫・山寺宏一両氏は冒頭から最後まで出突っ張りで、その芝居の巧さも然ることながらスタミナの面でも敬服した。いや、お二人共ホントにタフですね。

イノセンス マウスプロモーションにてアフレコ作業
(マウスプロモーションにてアフレコ作業。左:東京テレビセンターの整音・井上秀司氏)

2003年11月10日(月)

午後から読売新聞の取材関係の打ち合わせ。
続いて過去の作品の映像特典の収録。
合間で各種チェックや段取りの打ち合わせなど。

またしても原稿のアップを失念していたことが発覚。
それも1つじゃないし……。
一息ついてから、おもむろに原稿書きを始める。

そろそろ取材関係も最小限に絞らなければなりませんが、原稿などのお仕事が一番心配です。
連載もあるしなぁ……。

2003年11月11日(火)

PleymoのMark氏来社。同行取材が立て続けに2本。
以前にも2度ほど来られているが、来日の度にカントクに会いに来るとは、本当に本物のファンだったんですね。

その後さらに、2本の取材を立て続けに入れる。

つらいのはわかりますが、今しばらく踏ん張ってください。
待ちに待った音響作業は、もう目と鼻の先です。

……それはそれでハードなスケジュールですが……。

イノセンス PleymoのMark氏
(Production I.Gにて。左:PleymoのMark氏)

2003年11月12日(水)

球体関節人形展のため、某所に直行。
時間も早めだし、比較的近場なので油断したのが敗因でした。そのまま行方不明に。

同行されたDFJの小川さんの連絡によれば、予定の見学と打ち合わせの後、スタジオジブリのスタッフと吉祥寺に行くと言っていたそうな。
ひとたび三鷹寄りに移動したからには、よほど強く要求しない限り、国分寺方向に戻るのを嫌うカントクのことですから、今日はもう来ないつもりなのでしょう。
やはり同行すべきでした……体が2つ欲しい……。

また余分な執筆依頼を引き受けてきたりしなければ良いのですが……。
おいしい餌に釣られちゃって、後で泣いても知らないよ、と……。

2003年11月13日(木)

ポリゴン・ピクチュアズさんに20周年の祝辞を、ということでビデオ収録。
スケジュールが煮詰まってきて、お呼ばれしていた記念パーティーに行けそうもないので、代わりにビデオレターで一言。ホントにほんの一言だけでしたが。

原稿書きの合間にFAXインタビューの返答を。思ったより手間取る。

夕方から制作スタッフとスケジュール会議。
絵の遅れが音響制作に与える影響も、ひいては作品の完成度を左右する問題であることも、十二分にわかっているつもりです。耳タコですから。
「これ以上遅れるんなら、俺はホントに暴れるぞ!」とか言われても……。

カントクが暴れれば上がるもんなら、誰も苦労しやしませんってば。

2003年11月14日(金)

我輩はバセットハウンドである。名前はまだない。
銅のボディの中に球体関節、背には真鍮のエンジンを載いた銅城(あかがねのしろ)だ。
無類の犬好きカントクの発注を受けた「銅工房coppers」の早川父子の手によって生み出された。
先々カントクの家の玄関を飾ることになるそうだが、その前に一般公開してもらえるらしい。
ご興味がおありの筋は、来春開催予定の東京都現代美術館の「球体関節人形展 DOLLS of INNOCENCE」でお会いしましょう。

納品されたバセット人形の仕上がりにご満悦のまま、人形展の打ち合わせ。
終了後にチェック物をいくつかと、配置換えの打ち合わせなど。
押せ押せで音楽打ちのためにオーブへ。

日曜日も予定が入っているので今週は帰らないのかと思っていたら、打ち合わせ後に品川駅から熱海に直帰。この先ますます帰れなくなるので、1日だけでも愛犬に会いに帰ると。

体力は温存しておいて欲しいところですが、精神面での唯一の活力源ですからね。

2003年11月16日(日)

一口坂スタジオにて、挿入歌の収録。歌手の伊藤君子さんが少々遅れてIN。
真打は最後に登場するものですが、ひょっとしてカントクと同じ位に方向感覚がアレな人なのかな?
とか思ってみたり。いや、すみません。
その後の進行には影響なく、ほぼ予定通り終了。

2003年11月17日(月)

オムニバス・ジャパン直行。Inferno(インフェルノ)作業。
Dominoもそうだが、このInfernoやHenry(ヘンリー)などの目玉が飛び出すほどド高い機械を、処理ごとに自在に使い分けるなんていうぜいたくができるのも、オムニバス・ジャパンさんの協力があればこそです。

本格的に音響作業に突入したので、2台あったカントクの作業机を1台減らすことに。
作画などのチェック用の動画机が、サクサクと冷徹に片付けられていく。
たとえカントクといえども容赦なく行われるこの行為は、I.Gが狭いビルの1室でスタートしたころから連綿と受け継がれる儀式である。

「こんなヒドイ扱いを受けてる監督って、俺だけじゃん」

……いや、そんなことは……気のせいですってば。ヤだなぁ……ははは……。

2003年11月18日(火)

色指定増強のためにチェック用の作画用机を撤去し、パソコンデスクのみとなったカントク席を移動。
同じ室内ではありますが、演出・色指定各氏も配置換え。ついでに私も少しだけ移動したので、“ナナメ後ろ”ではなく、“真後ろ”になってしまいました。
今日からは、“後ろからナナメに”観察を続けます。

取り急ぎカントクが来る前に移動を済ませ、別件の打ち合わせで席を外して数時間後に戻ってみると、机の横にあった棚が無造作にどかされて、代わりにカントクのカラーボックスが。

俺が居ないのをいいことに、勝手に領土を広げるとは! ずるいぞ、カントク!!

2003年11月19日(水)

夕方遅めにIN。CGIのチェックなど。
先日レコーディングした挿入歌のトラックダウンのために、早めにオーブへ。

遅刻常習犯のカントクが、珍しく早めに出ようなどと言うのは、オーブの近所にうまい蕎麦屋があるからです。それだけです。

そしてまた遅刻することになるんだろうなぁ……。

2003年11月20日(木)

突然ですが、カントクの日常を推測するのに役立ちそうな小ネタをひとつ。

川井氏とビクターエンタテインメントの石川氏は、UFO(未確認飛行物体)を何度か目撃された経験があるそうです。
それを聞いたカントク「常々お目にかかりたいと思ってるんだけど、一度も見たことないなぁ」と。

ふと、不思議とカントクは財布を拾うことが多い、という話を聞いたことがあるのを思い出しました。

一見なんのかかわりもないように思える2つの話題ですが、実はある部分で密接に繋がっているとは思いませんか?

2003年11月21日(金)

効果音の確認事項をまとめるため、若林氏と打ち合わせ。
今月末に急きょ渡米しなければならないかも、という話は中止に。いやぁ、助かりました。こちらのスケジュールもさることながら、感謝祭の最中に無理やり打ち合わせなど組んだりしようものなら、サウンドチームの恨みを買うこと必至ですからね。

前後に各種チェック、原稿のゲラなどに目を通して週明けのスケジュールを確認。

「メシ食いに行くよ。そのまま帰っちゃうからね」と、いつもながら鮮やかな退き際。

年末年始もデパート並みのお休みしか取れそうもないし、精々今年最後の連休を愛犬と共に堪能してくださいな。

2003年11月25日(火)

熱海より赤坂、Domino作業直行。
終了後、オーブへ。川井氏より、楽曲のサンプルがいくつか上がったとの連絡を頂いたので、早速聴きにいく。
毎度のこととはいえ、時間が切迫しているなかでの音楽作業でご迷惑をおかけしております。
カントクからガミガミ言われるまでもなく、川井氏には申し訳ないと思ってますってば。

そもそもこんなに大変な内容にしたのは、ほかならぬ(以下略)

2003年11月26日(水)

スタジオジブリにて鈴木氏と対談。
考えてみたら、カントクは今週まだスタジオに1度も来ていないじゃないですか。
なに、今日も来ないって?
ナニかと忙しいのは山々ですが、それならせめて携帯電話を……。
無駄ですって? 「G.R.M.」のときに懲りてると?

それで、懲りたのはカントク自身ですか? それとも周りのスタッフですか?

2003年11月27日(木)

今週初のスタジオ入り。
机の上には各種連絡事項のメモやチェック待ちの書類などがうずたかく積まれており、キーボードが埋まってしまっています。
だからというわけではありませんが、執筆仕事は当面自宅作業にしたいとのこと。
これからますます忙しくなるというのに、なにやら膨大な数の依頼を引き受けてしまって、かなり焦っているようです。

大丈夫、移動中や出先でも作業できるように、ノートパソコンを運んであげますよ。
そろそろドリンク剤の手配もしておきますか?

2003年11月28日(金)

音響作業の注意点を、ビデオを見ながらカット毎に洗い出し。
机上の山を片付けるのももどかしく、取りまとめたうえで文章化してUSA送り。

時間を追って詰め込まれていくスケジュールをまとめて確認、予定表に記載(指差し確認!)。
若干の空欄を奪い合うようにして埋め尽くして行くスケジュールは、最早それ自体が暴力だと言っても過言ではないでしょう。

合間で各種チェック作業、指示出し後、空腹を堪えつつモブシーンの台詞付けなど。

2003年11月29日(土)

一口坂スタジオにて、オルゴールのサンプリング。
第2弾ポスターの背景にも使用されている円盤式オルゴールの音源となる楽曲を収録。
今回のための特注ディスクにてサンプリングした音をさらに加工して、本編中の楽曲を作成するという手の込みよう。気合の入れ方が違います。

収録後、オーブにて調整作業。
作業途中にて時間切れ。新幹線の最終便の時刻に合わせて途中で抜けさせてもらう。
この次いつ帰れるかわからないから今日は無理してでも帰りたい、とのこと。

ごもっともではありますが、かえって疲れませんか?